週休たくさんで主にスペインサッカーを分析
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前回は、誤ったトレーニング理論と模倣の危険性について見た。

ここでは、模倣の危険性とクリスティアーノ・ロナウドについて見る。

クリスティアーノ・ロナウドほど、評価の上下の激しい選手も難しい。

彼のプレーは、嘘だ、下手だ、まやかしだという声がある一方で、素晴らしい、世界最高だ、いや史上最高だという声もある。

このように大きく評価の分かれる理由は、正対という原理に視点を置けば、明快に理解される。

クリスティアーノ・ロナウドのプレー分布を模式的にあわらすと、下のようになる。



正対に関わる部分が少なく、スラロームに関わる部分が多い。
ただし、スラロームの中でも技術的に難しいスラロームが多い。
スラロームの意味を知らない方は、こちらから順番に読まれたい。
二つの部分を色分けすると、次のようになる。



彼をけなす人は、二通り存在すると考えられる。

一つは、赤いスラローム部分に注目する。
なんだあいつは、上手いといってもスラロームをやってるだけじゃないか、みせかけだけの効率の悪いプレーばかりしやがって、そんなものに騙されるものか、あれは嘘だまやかしだ。

もう一つは、青い正対部分に注目しつつ、赤い部分を憎む。
なんだあいつは、ちゃんとしたプレーをしようと思えばできるじゃないか、それなのに普段は意味のないごちゃごちゃした変なプレーばかりしやがって、やればできるのにやらないとはなにごとか、ふざけている、あれは嘘だまやかしだ。

一方、賞賛する人にも、二つの種類が存在すると考えられる。

一つは、青い正対部分に注目する。



なるほど、今は非効率な部分も多いが、いいプレーもきちんとできる、いずれ改善されて非効率なプレーが影を潜めた暁には、彼は本当に素晴らしい選手になる。



もう一つは、赤いスラローム部分に注目する。



足技は凄いし、動きはダイナミックだし、誰も彼を止められない、なんか文句を言ってる奴もいるが、あれは嫉妬してるだけだ、クリスティアーノ・ロナウドこそ素晴らしい、世界最高だ、いや史上最高だ。

この中で、完全に間違っているのは最後のものだけである。

これまでに見た通り、スラロームは、素晴らしい技術でもなんでもない。

しかし、子供は、その部分を真似したがることが多い。
派手なものが目に付きやすく、派手であるがゆえに模倣への衝動を起こしやすい。

これは防がねばならない。

クリスティアーノ・ロナウドにスラローム癖があることは、これまでも見てきた。
(参考:

例えば下の図である。



青い矢印を経て一瞬でゴールを狙える場面で、赤い矢印を通り時間を無駄にする。

正対から、前に押して抜くことができる場面で、横に移動する。



下も同様である。



クリスティアーノ・ロナウドの能力で、青いルートを通るプレーができるか。



もちろんできる。

正面の守備者を前に押して抜くことができるか。



もちろんできる。

正対からプレーベクトルを前に向け、一瞬の隙を見つけて抜き去ることができるか。



もちろんできる。

クリスティアーノ・ロナウドの素質を持ってすれば、これらのプレーは実現可能である。

しかし、実際にはできない。
その理由は、スラローム用の技術を習得しているため、アイディアが正対に向かわないからである。

もしそれができたなら、より無駄のない、より打開力のある、より決定力のある選手になったことは確実である。

クリスティアーノ・ロナウドの存在は、正対という原理の重要性を反面的に示している。

次回は、これまでを一度まとめる。


前回は、最初にスラローム系の技を覚えることが、子供の将来にとって、いかに危険であるかを見た。

同時に、技術上達には正対という原理が最も重要であることを見た。

今回は、技術指導法、指導理論についとっても、正対という原理が重要であることを見る。

現在の指導法に、トリック主義と呼ぶべきものがある。

まず、様々なトリックを選手になるべく数多く教え込む。
教え込むことで、技術的な「引き出し」を多く持たせる。
実際の試合でどの技術を選択するかは、試行錯誤と選手個々の判断を尊重する。

このような考えのものである。

正対という芯を入れないのであれば、このような指導法は、根本的に間違っている。

多くの技を教える場合、その大半がスラローム系のものになる。

正対では、状況が簡単であり、また、その利点を最大限にいかすためには、時間を無駄にしない技が必要になる。
このため、使う技術もシンプルなものになる。
シンプルな技の数には限りがある。

一方、スラロームは、正対にくらべ移動可能な方向が多い。
このため、組み合わせにより、多くの複雑な技をつくることができる。

以上のことは、技の数を増やせば増やすほど、正対の割合が減り、スラロームの割合が増すことを示している。
つまり、下の状態になる。



この状態で、選手に「判断」をさせることは、極めて危険である。

技術レベルの低い選手はスラロームを行いやすい。

正対では、ボールをさらして相手と向かい合うため、ボールを奪われやすい。
一方、スラロームは、相手に体の横を向けているため、いざとなれば体でボールを守りやすい。
この安心感があるため、初心者ほどスラロームを行う。

そこに、スラロームで使える技を多く教える。
当然、選手の「判断」はそれを使う方向に傾く。

一度スラロームを始めれば、スラローム癖がつく。
これは前回見た通りである。

スラローム癖がつけば、それをつなぐようになる。



結局、下手な選手が出来上がる。
教え込まれたスラローム系のトリックが初心者のスラローム癖を助長し、道を見失わせる。
正対という山の頂を目指すにおいて、中腹のスラロームの森で迷子になってしまう。

そのような技術的迷子を作る指導法は、数多く存在し、それらはまったく無意味である。

これを避けるためには、正対という芯を入れることである。



スラロームをしながらも正対を常に意識する。
正対からスラロームに戻った後も正対を常に意識する。
これにより、初めて上達への道が開かれる。
これが実現されて初めて、スラローム系のトリックも本当に意味を持つ。

正対という原理を持ち込まぬ限り、トリック主義のトレーニング理論は無意味である。

これに対し、「技は教えるが、正対といういう原理は選手自身に気づかせることに意義がある。それをあらわに教えては意味がない」という反論がなされるかもしれない。

もしそうならば、良い仲間とストリートサッカーに明け暮れた方がましである。
わざわざ道に迷うトリックを教えてくれるコーチがいない分、正対に気づく時期が早まる。
目くらましがある状況で本質に気づく選手なら、それがなければより早く気づく。

そして、正対を発見した後は、ひたすらそれを磨いていられる。
「正式な」トレーニングを受けている選手が、不毛なトリックを覚えている時間を正対を磨くことに費やすことができる。
スラロームによる嘘の成功体験をしている間に、正対による成功体験を積むことができる。

同じ選手が2年もこれを続ければ、膨大な差になる。
選手を迷子にさせる論理的指導より、ストリートサッカーの方が指導理論として優れているとさえいえる。

選手を潰すのは簡単である。

移動方法として、スラロームを教え、インサイドキックとしてパター型を教える。
これで選手の技術的な可能性はほとんど潰れる。

スラロームを教えれば、攻撃ゾーンで相手に向かうことができない選手が出来上がり、パター型を教えれば、プレッシャーがかかると簡単に横を向き、味方に困難を押し付ける選手が出来上がる。

選手にあっては、このような指導を無視することが肝心であり、保護者にあっては、このような指導から子供を守ることが肝心である。

そのためには、正対という原理一つを知っていればよい。
そこから見れば、スラローム癖を強めることは嘘であり、正面にしか蹴れないパター型が嘘であることはすぐにわかる。

これは、トップレベルの選手の技を模倣する際にも同じことが言える。

クライフで見たように、彼の正対からのプレーを真似るならよいが、クライフターンという一つの技を真似て、スラローム癖を強めたのではどうにもならない。

子供は、有名な選手の真似をしたがる。
模倣は、確かに上達への近道である。
しかし、無軌道な模倣は将来を損ねる可能性が高い。

現在、この点で最も注目すべきは、クリスティアーノ・ロナウドである。

次回は、これを見る


前回、得意な技がアイディアを規定し、選手の行動を支配することを見た。

このことは、スラローム系の技術を覚えることの危険性を示している。
特に、子供にとって危険である。

この点を理解するためには、スラロームが正対よりも低い技術であることを認識する必要がある。



この点については、「スラロームの導入」からご覧いただきたい。

スラローム系の技術として、下のようなものがある。












クライフターンである。
これは、現在、基本技術としてごく小さい年代の選手に教える。
技を覚えた子供はそれを使いたがる。
ミニゲームで使い、それで成功すれば試合でも使う。
例えば、下のプレーを成功させる。



左足でのクロスフェイクから切り返し、シュートを決める。
これが実現すれば、皆が誉める。
特に保護者が誉める。
あの子はあんなに小さいのに、もうあんな技を使える、素晴らしい。
誉められた子供は、ますますその技術に磨きをかける。
そして、また試合で使いたがる。

使いたがるがゆえに、わざと相手に体の横を向けてプレーするようになる。
例えば、下の状況を迎える。



クライフターンを使いたがるがゆえに、下のように動く。



今度もまた成功すれば、皆が誉める。
やっぱりあの子は大したものだ、素晴らしい技術だ。
誉められた子供は、これがよいプレーだと思う。
思うがゆえに繰り返し、習慣化する。

こうなった時点で、この選手の未来は、半分終わっている。

これが習慣化するということは、相手に横を向けることが癖になるということである。



これが基本姿勢になる。
この選手が、さらに技を覚えようとする時、基本姿勢から使うことのできるものを覚える可能性が高い。
つまり、相手に体の横を向けながら使うことのできる、スラローム系の技を次々と習得することになる。

その結果、彼の技術分布は以下のようになる。



基本姿勢がスラロームに適しているため、それに関する技を多く覚える。
正対に関する技術は、身につけたとしても少数であり、また低いレベルのものである可能性が高い。

この状態でプレーすれば、当然、スラロームを多く行う選手になる。



つまり、下手なプレーをつなぐようになる。
これは、以前に見たように、身につけた技術が思考、アイディアを規定するからである。

スラロームを行う限り、相手のレベルが上がれば上がるほど苦しくなる。
これも以前に見た通りである。

持っている技が通用しなくなった選手は、さらに技を工夫する。



工夫したところで、基本のアイディアがスラロームである以上、そこから抜け出すことは容易ではない。
工夫すればするほどスラローム系の技術が増え、それによりスラローム癖をますます強め泥沼にはまっていく。

もはや、技術的進歩というもはない。

そして、中途半端な実績でサッカー人生を終わる。

「子供の頃はあんなに上手だったのに」
「上手いけどなぜか試合では今ひとつだった」
「国内では上手いのにトップリーグでは通用しなかった」

その時に残るのは、こういった評価である。

こうなる理由は、最初にクライフターンを覚え、嘘の成功体験を重ねてしまうからである。

子供の頃は、スラロームでも上手くいく。
なぜなら、その年代では選手のレベルの差が極めて激しいからである。
ちょっと技術的才能のある子供なら、簡単に守備者の逆を取ることができる。

それが積み重なって、スラローム癖ができあがる。

その後、選抜を経て周囲のレベルが上がるとそれでは通用しなくなる。
結果的に、上で見た悪循環にはまり込む。

元をただせば、最初に正対を意識せず、クライフターンを覚えたことが間違いだったことになる。

以前、子供がクライフターンを覚えるとサッカーが下手になる可能性が高い、と述べた理由はこれによる。

ただし、これはクライフターンがサッカーに必要ない技術であるということではない。
正対という芯を入れずに、クライフターンのようなスラローム系の技を覚えることは極めて危険であるという意味であり、特に子供に対して毒性が高いということである。

そもそも、クライフ自体が正対を強く意識した選手である。
クライフにとって、スラロームのクライフターンはいわば余技であり、彼の本当の上手さは正対からのプレーにある。
余技を真似し、その本質を理解しないのでは、まさに本末転倒である。

才能のある子供であれば、技の種類を増やすことはそれほど難しいことではない。

しかし、正対という本質、正対という技術全体を貫く原理に気づくことは非常に難しい。

そして、原理こそが最も重要なのである。

これを忘れては、今回の例のように、自ら下手になる選手を作ることになる。

逆に言えば、正対という原理を常に意識することにより、その罠から逃れることができる。

正対ミニマムを作り上げる意義はここにある。

それさえあれば、正対を恐れる必要はなくなり、原理から離れることもなくなる。

これが最も大切なことである。

正対という原理を忘れては、トレーニング理論そのものも珍妙なものができあがる。

例えば、選手の技術を上げる一つの理論として、トリック主義と呼べるものが存在する。

まず、様々なトリックを選手になるべく数多く教え込む。
教え込むことで、技術的な「引き出し」を多く持たせる。
実際の試合でどの技術を選択するかは、試行錯誤による選手個々の判断を尊重する。

このような方法論である。

しかし、これは正対という芯を入れなければまったく意味のないトレーニングになる。

次にこれを見る


前回は、サッカーにおいて、アイディアを規定するのは技術であることを見た。

ここでも同様の例を見る。
(画像出典:http://www.youtube.com/watch?v=euMu1SKi-ak

4m03s


















最初に、右足でボールを横に転がす。



中に入った後、左足の内側でボールを弾く。



最終的に、下の形で終わる。



前回に見た動きと、類似点が多い。





今回も、横に動いた後、サイド方向を向いて終わる。




また、プレーに時間をかけたため、オレンジの場所に守備者が増えている。
これも、前回同様、スペースと時間と無駄にしやすい、スラロームの根本的な欠陥による。

この場合の解決策も、正対にある。



正対し、相手の重心を後ろにかけさせ左右を抜く。
これにより、よりよい攻撃ポジションを得ることができる。

最初にも見たように、スラローム系の角度の大きな切り返しを得意とする選手は、このような場面で正対することが難しくなる。



なぜなら、得意な技をつかうことで、ゴールから遠ざかるためである。

このため、横移動を行う。



これにより、得意な技が有効になる状況ができる。





これも、前回同様、得意な技がアイディアを規定している。

つまり、正対よりも低いレベルの技術であるスラロームがアイディアを規定し、それが選手の行動を支配する。

このことは、正対のできない選手に、スラローム系の技術を教えることが非常に危険であることを示している。

特に子供に対してそうである。

次回は、その点を見る


前回は、技術ミニマムを構築する際、スラローム系の技を覚えることにより、サッカーが下手になる可能性を述べた。
ここではその具体例を見る。
スラロームの定義をご存じない方は、こちらをお読みいただきたい。

スラローム系の技として、次のものを考える。




















足の内側でボールを弾いて切り返す。
特徴は、角度の変化が非常に大きいことである。



90度、もしくは、それ以上の角度で切り返す。

概念図は、以下のようになる。



この技を攻撃で使う場合、ゴールの正面を向いて使うことはできない。
図で明らかなように、プレーの方向がペナルティエリアを向かない。
ベクトルをゴール近くに向けるためには、下のような体勢をとる必要がある。



エリア手前で横を向く。
この形から上手くいけば、下の形で、シュート、もしくはクロスを狙うことができる。



このような切り返しを得意とする選手が、下の状況を迎えたとする。



下のように動く可能性が高い。



これにより、得意技を使用可能にする。
具体例として、以下のプレーを見る。
(画像出典:http://www.youtube.com/watch?v=euMu1SKi-ak

1m11s

















左足の内側でボールを弾く。










最初に、右足でボールを横に転がす。



中に入った後、左足の内側でボールを弾く。



最終的に、下の形で終わる。



これは、極めて非効率なプレーである。



この形からはじめるならば、下のように動くだけで、ほぼ同じ形が出来上がる。




白と赤を比べると、白は、時間とスペースを無駄にしているだけである。
スラロームを行うと、時間とスペースを無駄にし、結局苦しい体勢で終わりやすい。
これは、今までに多く見た、スラローム系のプレーの本質的な欠陥による。

改善のためには、正対を行う必要があることもすでに見た。



このように、正面から押し込んで抜く。
切り返しが小さな角度でよく、相手を押し込んでいるため、その後のプレーが楽になる。
このようなプレーの具体例は、こちらを参照されたい。

概念的には、次のようにまとめられる。

スラロームで目指す形は、下のようになる。



正対は、ほぼ同じプレーを下のように行う。



切り返しが小さいこと、体勢を苦しくしないこと、使うスペースが少ないこと、どれをとっても、正対からのプレーの方が効率がいい。



上のプレーが可能な状況で、下のプレーを選ぶ選手がいるとすれば、それは無駄の多い選手であり、無駄の多い選手を下手と呼ぶ。



通常、効率の良いプレーと悪いプレーが選択可能な状況で、後者を選ぶ選手は「判断」に問題があると言われる。
これは、二つの選択肢から決定を下すのは脳であり、そこで間違った方を取るから良くない、という考え方にもとづいている。

しかし、その考え方自体が誤りである。

この選手が、無駄の多いプレーを選択するのは、足の内側で弾く切り返しが得意だからである。



人の脳には、得意な技を使うアイディアが閃きやすく、最終判断はそれに大きく左右される。
足の横で弾く切り返しが得意な選手は、それを用いたプレーを選択しやすい。

つまり、得意な技術が判断を規定するのである。

サッカーにおいて、思考、もしくは、アイディアを規定するのは、技術である。

これは、忘れてはならない概念の一つである。

無駄の多い技術が得意な選手は、それを繰り返し用いることで、プレーの非効率性を高める。
スラロームが得意になると、思考がそれに縛られ、そこから抜け出せなくなる。

判断ではなく、身につけた技術に問題がある。

次も、これを示唆する例を見る




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