週休たくさんで主にスペインサッカーを分析
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「さて」

「トーレスとビジャのコンビネーションについてやな」

「まず、二人の選手のコンビネーションが良い悪いを考える時に、もっとも単純な発想としては、どのくらいパスを交換したかを調べればいい、というのが浮かぶ」

「そこで、質問にあったスペイン対ロシアでの両者のパス交換を調べてみる」

「トーレスからビジャへが2本、ビジャからトーレスへは1本」

「ソースはUEFA

「まあ、少ないと言っていい」

「最小限の交換という感じか」

「ただ、ここで考えるべきは、逆にパスの交換が多いからといって、コンビネーションが良いという証明にはならないということやな」

「例えば、下の図やな」



「相手がプレシャーをかけてこない状態で、前にパスコースがないと、センターバックの間で何本でもパスをつなげることができる」

「具体的な例は、ギリシャ対スウェーデンでのギリシャのバックスやな」

「攻めあぐねて、後ろでずっとパスを交換してブーイングを浴びていた」

「後半はデラスの位置を変化させることで、どうにかそれを打開しようとしていたけどな」

「上の例では、確かに二人の選手の間のパス本数は増えるが、これをもってコンビネーションがいいとはいえない」

「当たり前といえば当たり前やな」

「となると、コンビネーションとはなんだ、コンビネーションがいいとはなんだ、という話になる」

「定義で悩むというやつか」

「そこで、あれはいいコンビだ、と言われる条件を考えてみると、互いの考えが言葉を介さずに理解される、という要素が必須であることは間違いない」

「以心伝心というやつやな」

「じゃあ、サッカーにおいて何を理解するのかと考えると、いくつかの選択肢がある状況において、共通のものを選び出してそれに向けて協調して動く、という状態が互いを理解した状態であるということができる」

「プレーイメージの共有とその実行ということやな」

「例えば、上のセンターバックのパス交換は、この2人の間では一つのパスコースしか存在しないため、上の話で出てきたいくつかの選択肢から共通のものを選び出すという要素が抜ける。だから、これはコンビネーションが良いか悪いかの結論に対して証拠とすることができない」

「当たり前のパスやからコンビもなにもないということやな」

「すると、下の状態でのパスもコンビネーションが良い悪いという話とは無関係になる」



「これは、ロシア戦でビジャが決めたときにトーレスからパスが出た場面やな」

「この状態で、ビジャが走りこむ場所はディフェンスの間、エリア中央しかなく、これはビジャを世界中どのフォワードに代えてもこう走る」

「他の動きは考えられへんしな」



「上のように動く選手がいたら、それはフォワード廃業というより、サッカー選手廃業に近いものがある」

「別に廃業せんでもええと思うけどな」

「ビジャの走るコースが一本だと、それにあわせるトーレスのパスコースも一本になる」

「すると、選択の余地というものがなくなるわけか」

「だから、上のパスは2人の選手のコンビネーションがいいかどうかの議論に対しては有効性を持たない」

「要するに、当たり前のパスということかね」

「そこで、どんな動きやパスが良いコンビネーションといえるのか、その具体例を考えてみる」

「下の図か」



「青いチームは右に攻めている」

「今、右サイドから中央にボールが出て、それをワントラップした選手が左サイドを向いた状態をあらわしている」

「ここで、ボールを持っているのがグティ、1と書かれた選手をラウールであるとする」

「この2人の間にスルーパスが通ります。そのパスコースと、1番の選手の動きはどのようなものでしょう、というのが第一問になる」

「もっとも普通のコースは下のようにあらわされる」



「センターバックの間やな」

「しかし、グティとラウールの場合、こうはならない」

「ほぼ間違いなく、下のようになる」



「ラウールはバックステップを踏み、グティはサイドにパスを出すフェイクを入れた後、体の向きから90度を越えるような角度でスルーパスを出す」

「普通、こんな角度でパスは出せないし、出したとしても上手く通らない」

「ところが、グティはこれが非常に得意で、ラウールはそれを十分に知っている」

「この辺りについては、こちらが詳しく、こちらにも関係記事がありますので、それを読みいただくとして」

「この状態で、グティの方も、上のパスにラウールが合わせてくれることを知っている」

「ラウールはグティが出すと信じ、グティはラウールが受けると信じ、同じ選択肢を選んでいる。これが実現された場合、この2人は、コンビネーションが良いといっていい」

「まあそうやわな」

「次に、別の例も考えてみたい」

「下の図か」



「速攻から、サイドをうまく崩した状態で、ボールが移動した後の状態を、矢印の選手だけを動かしてあらわすと下のようになる」



「ふむ」

「上の流れで、ボールを持った選手を代表にも選ばれているセルヒオ・ガルシア、1のついた選手をディエゴ・ミリートとしてどのようなパスが出るか、1はどのような動きをするのか、というのが第二問なわけや」

「おそらく、もっとも普通のアイディアは下の流れやな」



「フリーのサイドに渡してクロスか」

「サイドでドリブルが入るか入らないかは別として、クロスが来る可能性が高いから、とりあえずファー方向に動きながら中に入るか、それをフェイントにして裏を取るか、どちらかを狙う」

「動きとクロスが合えば一点の場面やな」

「ところが、セルヒオ・ガルシアは必ずしもそうのような選択肢を選ばない」

「どうするかというと、下のように体を捻りながらヒールかなにかで無理やり中に入れる」



「これはどのような狙いかというと、1の選手がファーからニアに入って、ディフェンスが遅れればそのままシュート」



「シュートブロックに飛び込んでくれば、切り返してシュート」



「このような筋を狙っている」

「一度サイドに返さず、より直接的にゴールを狙っていくわけやな」

「フォワードらしいアイディアと言える」

「しかし、これは、1の選手が反応してくれないとすごいことになる」

「例えば、クロスが来ると思った場合の動きと重ねると、次のようになる」



「なんやねん、そのパスは、という感じになる」

「セルヒオ・ガルシアは、この手のちょっと人とは違うアイディアが持ち味なのだが、なかなか理解されない」

「ところが、ディエゴ・ミリートはこれがわかる」

「びっくりするくらいによくわかる」

「このような2人は、コンビネーションがいいと言える」

「ちなみに、上のような意思疎通が見られたのは、2シーズン前、ツートップを組んでいた時で、今年はセルヒオ・ガルシアが主にサイドでプレーした関係であまり見られなかった」

「こういう、阿吽の呼吸でプレーが完成した瞬間というのは、実に気持ちがええな」

「必ずしもプレーが完成しなくても、アイディアが通じただけで気持ちいいもんやで」

「そうなんか」

「例えば、フットサルでやな」

「いきなりフットサルか」

「下のようなプレーがあったわけや」



「これはなんだ」

「ペナルティーエリアを、フットサルの丸っこいやつに変換して見て頂きたい」

「上のは、フォワードが下がってボールを受ける場面なのか?」

「そういうことで、この場面で、パスを出す方は、下がる選手の左足ぎりぎりのところにスペースで止まるような遅いパスを通した」



「ふむ」

「それは、下がる選手に合わずに抜けてしまったが、それは、下がる方は足元にもらって、ディフェンスを背負った後、下のようなプレーを考えていたからなわけや」



「ワンツーか、それをフェイクにして逆ターンからシュートか」

「これは一般的なアイディアといえる」

「そうやな」

「出した方は、なぜそうしなかったかというと、下の筋を狙っていたからなんや」



「これはどういうことや」

「下がりながらボールを受けると見せかけて途中で止まり、背中でディフェンスに当たった後、それを軸にターンしながら裏に抜けてそのままシュートを打つ、という狙いやな」

「ほほう」

「なぜこれが有効かというと、デイフェンスのポジションが図の上側にずれていて、背中で当たった後のターンに対抗する手段がないからなんや」

「だからスペースに止まるパスを出したわけか」

「ところが、理解されなかったものだから、後で受けようとした選手からからパスを出した選手に苦情が出た」

「そりゃそうなるわな」

「そこで、パスを出した選手は、指で当たってターンをする軌道を描いたわけや」

「それで」

「すると、受ける方の選手は、ああ、わかったという顔をしてプレーに戻っていった」

「それは中々やな」

「その場ではわからなくても、ほんのちょっとの説明でアイディアが通じた時というのは、それはそれで気持ちがいい」

「コミュニケーションの大切さ、ということやな」

「それは、さておき、トーレスとビジャに話を戻すと、彼らの間で、例えば上のラウールとグティ、セルヒオ・ガルシアとディエゴ・ミリートの間のようなコンビネーションがあったかというと、残念ながら記憶にない」

「それは証明しないのか」

「ある、ということはわりと証明しやすいんやけど、ない、というこはなかなか証明しづらくて、2人がコンビを組んだ全試合のビデオでプレーを逐一見て、ほら、ほとんどないでしょう、というしかないような気がする」

「非存在の証明というやつか」

「そうなんかね」

「まあ、あるかないかでいえば、日本では産出しないと思われていたダイヤモンドが見つかった例もあるしな」

「もし、こんなコンビネーションの実例がある、ということをご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひお教え願えればと」

「確かに、ダイヤモンドの例でも、あるという証明はしやすいな」

「石に光をあてて、ほらダイヤのところに山がでるでしょ、といえばいいから納得しやすい」

「それがいつでもどこでもできれば証明になるな」

「ついでに、他の人が同じ実験を行って、確かに同じことがおこらなあかんけどな」

「再現性と追試可能性というやつやな」

「その二つは、サッカーでも重要やな」

「ほうかね」

「スペインはロシアに4-1で勝ったけど、その試合を誉める時に、それが再現可能であるかどうかという点は非常に重要になる」

「スペインのマスコミは、ドイツワールドカップの苦い思い出があるから、馬鹿騒ぎの中にも保留の姿勢があった」

「個人の選手の評価でもそうで、なにかを言うためには、その再現性が大切になる」

「選手寸評でも、一試合か二試合見ただけで書いてるやろ、というのは大体外れている」

「そして、追試可能性というのは、サッカーのプレーよりも、書かれるものに関して重要になる」

「書く方か」

「例えば、このチームは、アタッキングゾーンで前を向いて勝負する選手がいない、という文を書いたとする」

「ふむ」

「これに追試可能性を持たせるためには、そのようなパスについて、なるべく具体的なデータを出すしかない」

「当たり前やな」

「それが前のワールドカップの日本代表まとめであったわけだ」

「それがどうした」

「こういったデータを出すのはなかなか面倒くさい」

「ひたすら数えなあかんからな」

「ただ、サッカーの文章は安全な場所から石を投げつけているだけのものになりがちで、それをさけるもっとも有効な方法は、誰もがその内容を検証可能な方法で出すこと、つまり追試可能性をできるだけ高めて出すことやと思うんや」

「要するに、何かを言うなら誰でも確認できる証拠をきちんと添えて出せ、ということか」

「蹴球計画は、その辺を意図してつくられているんだけど、なかなか十分にできない反省を込めてここに記しておこうかと」

「良いサッカー批評かそうでないかを、追試可能かどうかで判断してみるのは面白いかもしれんな」

「時間がある方は試していただければと」

「そんなこんなで」

「今回はこの辺で」

「質問などございましたら、コメント、メール問わずお送りいただければ、できる限り答えて行きますので」

「よろしくお願いします」

「あと、最近、原稿の依頼が絶えて困っておりますので」

「もし何かありましたらこちらからお送りいただきたいというところで」

「また次回」

「ご機嫌よう」

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