週休たくさんで主にスペインサッカーを分析
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Un Minuto de Silencio(ウン・ミヌート・デ・シレンシオ) (2004.04.21)


スペインリーグでキックオフ前、選手がピッチ上に立ったまま動かなくなるシーンをよく見かけます。
あれが、ウン・ミヌート・デ・シレンシオというもので、要するに黙祷です。

黙祷なら黙祷と最初っから言えばよろしい、のですが、日本で一般に言う黙祷とは微妙に異なります。

まず、必ずしも目を閉じる必要はありません。
その名を直訳すると、「一分間の静寂」なのでありますから、目を開けていても静かにしていれば問題ない。
一般的な作法は、起立する、帽子を取る、一分間静かに身を凝固させる、選手であれば腕を後ろに組むのが望ましい、以上になります。
スペインでは試合前しばしばこれが行われますので、現地観戦の際に注目されるとよろしいかと。

ちなみに審判の気分?で沈黙時間が変わるのがスペイン風で、ウン・ミヌート(1分間)といいながら30~40秒しか待たないこともしばしば。
また、リーガ一部では黙祷の途中で叫びだす人間が必ず出るのも特徴。
大体「イホ・デ・プータ(意訳:お前のかあちゃんデベソ)」と叫んでいるだけなので無視するのがよろしいかと。

どんな場合に捧げられるかと言えば、

・スタジアム外での暴力で死者が出た場合
・海外派遣された軍隊で死者が出た場合
・国宝的人物が亡くなった場合
・テロの後
・クラブ関係者の不幸

といったものが主です。
この国では、派兵中の死者、つまり戦死者は、国王参列の葬儀をもって荘重に見送られ、その模様は全国放送により生放送で、数時間にわたって放送される。
軍隊と国との関係が、日本とは根本的に異なります。

個人的に遭遇した例としては、プエルタ・ボニータというチームで、そのクラブの会長の娘さんが病気で亡くなられたため、一分間の沈黙を捧げる、というものがありました。
その時は、そのチームが所属するチームの試合全て、すなわち、8歳の所属するチームからトップチームまで、全ての試合で黙祷が捧げられました。

テロから一ヶ月以上が経ちましたが、現場となったアトーチャ駅にはいまだに献花、献灯が耐えません。
マドリー・ダービーの前の日にもアトレチコのエスクード(紋章)、レアル・マドリーのエスクードをかたどった花が奉じられていました。


「いい世の中とは皆がつつがなくサッカーを楽しめる世の中である」

と誰かがいったとか言わないとか。
今日もサッカーを噛み締めましょう。

(2021/07/05)


マドリード人の代表応援法 (2004.06.09)

マドリードに住む人間の代表に対する姿勢は極めて及び腰である。

その代表的なスタンスといえば、勝ったならば一緒に喜ぶが、負けても被害を受けない距離に身を置いてセレクシオン・エスパニョーラ(スイペン代表)を応援する、というものである。

以前、ユーロ2004を前にして、調子を落としているイケル・カシージャスの先発の座を心配する人から、「スペイン国内ではサモーラ(最小失点キーパー)であるバレンシアのカニサレスと失点の多いイケル・カシージャス、どちらが代表のキーパーに相応しいか、議論があるのではありませんか。」と聞かれたのだが、ふと考え込んでしまった。新聞にしろバル(飲み屋)のおっちゃんらにしろ、カニサレスかカシージャスかで喧喧諤諤の議論をしている場面を見たことがなかったからである。確かに新聞で取り上げられはするが、それはネタ探しの意味合いが強く、「議論」のように強い論調のものではない。

この国では、そもそも、不首尾に終わったヨーロッパ選手権予選の後、いつの時点で代表監督イニャキ・サエスの続投が決まったのか、定かではなかった。
スペインはギリシャ、ウクライナ、アルメニア、北アイルランドと対戦する「簡単な」グループに入りながら、ホームでのギリシャ戦を落とし二位に甘んじた。
この恥と言える成績ですら、監督に対する大いなる糾弾の声を引き起こすには足りなかった。イタリアではトラパットーニの首を求める声が国中で沸き起こっていたようであるが、この地でそのような沸騰を経験することはなかった。
ノルウェーとのレペスカ(プレーオフ)の後、スペインサッカー協会はサエスに続投を求め、彼は「時間を取って考えたい」と答えた。その後ほとんど人々の話題に上らぬまま、その契約は更新された。
さらに言うならば、協会はユーロ「直前」にサエスのドイツワールドカップまでの続投を決め、一般人はその不可解な人事に全く頓着していない。

スペイン人の代表に対する関心の薄さ、ことに、地域間の強烈な競争心に源をなす関心の薄さは有名である。

個人的な思い出であるが、私にとって最初のスペイン語の先生となったアランチャは正にその典型だった。彼女は生っ粋のマドリディスタであり、昔はシウダー・デポルティーバに足を運び、練習を見学していたほどのサッカー好きでもある。
ある日、授業前に彼女と雑談を交わしていると、話が代表に及んだ。
そしてその時、はっきりと、彼女の口から「代表なんかどうでもいい」との言葉が漏れた。
理由を訪ねると、次のように答えた。

「だって代表を名乗るからにはその国で最高の選手が選ばれるべきでしょ?スペイン代表はそうじゃないんだもの。えっ?なんでかって?あなたスビサレッタってしってる?彼が長い間スペインのゴールマウスを守ってたでしょ、でも、あんなのおかしいわよ。じゃあ誰が出るべきだったかって?そりゃブージョよブージョ、パコ・ブージョ、レアル・マドリードのキーパーだった、もちろん知ってるわよね。だって彼の方が明らかに上だったのに、代表で先発するのはいつもスビサレッタ。そんなチームを応援できるわけがないじゃない。」

嘘のように見事なマドリディスタ的解答だが、彼女は心底そう思っているようだった。

いまだに東洋人がサッカー場に出入りすると、「おまえは韓国人なのか?」と聞かれる。そして「そうではない。」と答えると、延々とあの試合、つまり2002年のワールドカップにおける韓国対スペインの試合に対する愚痴を聞かされる。
「やつらは盗っ人だ」「あの審判を見たか」「あんな恥知らずな試合はない」等々、様々な言葉を聞くが、そんな彼らが代表を心底応援していたわけでない。
「心底応援する」とは本当に代表が自分の一部であると感じ、その勝利による喜びだけでなく、敗北による悲しみ、怒り、やるせなさ、全てを自分のこととして受け止める姿勢を指す。
しかし、マドリードにおいて代表に対するそのような思いを感じることはない。代表の敗戦の後は、お決まりの、「他人に対する責任のなすりつけ」と「自分が傷つくほど応援しなくてよかった安堵感」が街に充満する。

一度代表が国際舞台で優勝すれば、このような及び腰ともいえる態度に変化がみられるだろう。
しかしながら、スペイン代表が勝てない理由の一つとしてとして、まさにこの、「国民からの支援不足」が挙げられているのである。

卵が先か鶏が先か、勝利の日はまだまだ遠いのであろうか。

(2021/07/01)


オリベルとベンジー (2004.06.02)


いきなりですが、スペインのテレビには数多くの日本アニメが溢れています。
特にサッカーと関係のあるものは、「オリベル・イ・ベンジー」。
これはあの歴史的漫画、「キャプテン翼」のことで、オリベルは翼君、ベンジーは若林君を指します。
どこをどうやればそのような翻訳になるのか難しいところではありますが。

サッカーの常識を完膚なきまでに無視したこのアニメ、現実にサッカーが盛んなスペインでの受けが気になるところだったが、その視聴率は意外なほどに高いらしい。
草サッカー場に足を運び、出身が日本だとわかると、「おまえ、オリベル・イ・ベンジーを知っているか?」とたまに聞かれる。
当然知っていると答えると、

「あの走っても走っても端にたどり着かない、次元を無視したサッカー場は凄え。」
「足の裏に人間をのせて打ち上げたり、空を飛んでオーバーヘッドをしたり、ボールがネットを破いたり、日本のサッカーはあんなんなのか?」
「いや、小学生の大会で選手生命を賭けてプレーする必要はないと思うぞ。」

といった感想が一般的に返ってくる。実に常識的な反応である。

タイガーショットは「ティロ・デ・ティグレ」、ドライブシュートは「ティロ・コン・エフェクト」と言いますが、たまに子供たちが、「トマ、ティロ・コン・エフェクトォーーーー」と叫びながらボールを蹴る姿を目にする、この点は日本と変わらない。
現在三十前後の人なら、子供の頃ツインシュート(二人で同時にボールを蹴りボールに妙な効果を加える)を練習し、友達の足を蹴って爪先を黒くした経験をお持ちでしょうが、残念ながらその場面をこの地で見たことはない。

ここまでなら、大人気を博す、「シンチャアーン(クレヨンしんちゃん)」、「ドラーイモン(ドラえもん)」、「ポケモン」と対して差がないのだが、「キャプテン翼」は別の場所でスペインサッカー界に影響を与えている。

スペンサッカー協会が主催する監督免許を取得するためのコース(コーチングコース)において、子供の成長に合わせた練習プログラムを学ぶ授業があった。そのプリントの中に、若年層、特に10歳以下では一人に一つボールを渡し、とにかくそれに親しませるべきだ、という主張がなされており、その横に「バロン・エス・ウン・アミーゴ (オリベル・イ・ベンジー)」と書かれていた。

アミーゴとはご存知のように友達、バロンはボール。
そうです、あの有名なフレーズ、「ボールは友達(怖くない)」のスペイン語訳がスペインサッカー協会が主催する授業で使われていたのです。

子供のうちにボールに親しむべきだ、常にボールを傍におきそれになじむべきだ、ボールを手足のように扱うべきだ、等々、これに似通った主張はこれまで多々なされてきたと想像されますが、それを「ボールは友達」という言葉に昇華させた人間はこれまでにいなかった。少なくともスペインにはいなかった。それを日本のサッカーを知らなかった作家が生み出し、遠く距離を越え、この地でプロコーチを養成するための教科書をつくる人間の心を捉えた。

日本漫画、日本アニメの底力を感じさせる出来事ではないでしょうか。

(2021/06/27)


選手の一日 (2004.04.14)


サッカー選手は通常、一日に一度、1時間半から2時間しか練習しない。
そんな彼らの日常はどうなっておるのでしょうか、暇で暇でしょうがないのとちゃいますやろか。
今回はこんな疑問を考えてみようかと。

たまーに、レアル・マドリー・オフィシャルマガジンで「選手の一日」という特集があります。
その情報を平均すると、

09:30 起床
09:45 朝食
10:15 出勤
11:00 練習開始
13:30 ファンのサインに応えながら帰宅
14:15 昼食
16:00 昼寝
17:00 買い物
18:10 家族団欒
20:15 読書
21:30 夕食
23:15 就寝

こんな感じで書いてあります。
まことに暇そうですな。この時間配分が本当なら、睡眠時間は10時間15分。
嘘っぱちなような気もしますが、イケル・カシージャスはインタビューで「9時間寝ないと調子が出ない」と言っていたので、ちょっと眠りの長い選手ならそのくらいはベットの中かもしれません。

午後から自主トレぐらいはやるんちゃうんかと思うのですが、普通はやらないらしい。
ミゲル・ソレールという選手がレアル・マドリーの選手であった時代、午後、コンプルテンセ大学のグラウンドにやってきて黙々と走りこみをしていた姿は今でも伝説として語り継がれている。
いや、有名な選手がトレーニングをしていたから伝説になったのではなく、「強制でもないのに自らシンドイことをやる変わり者がいる」という意味で伝説であるらしい。
知り合いのレガネス(セグンダA)の選手に聞いても、「午後に練習?しないね、普通」とのこと。
アトレチコ・マドリー下部組織の寮に入っていた日本人も、「あいつら寮に帰ったらウェートなんかほとんどやらないんっすよ」とこぼしていた。

スペインは基本的にそんなものらしいです。

1日2時間働いて数億の給料をもらうサッカー選手。世界で一番おいしい職業にみえます。
そんな意識が、最近のレアル・マドリーに対する激しい非難の奥底に潜んどるのは間違いないでしょう。
昨日も、直訳すると問題が多い横断幕がレアル・マドリーの練習場に出現していました。
やわらかめに訳すと、
「お前さんらにゃ女と金、わしらはそれがむかつくんじゃ」
といった内容でした。

そんなプレッシャーに負けたレアル・マドリーは、首都を逃げ出してムルシアのラ・マンガにある、ホテル・ハイアット・デ・ムルシアへ。
それがまた、サッカーフィールドを8面も持った高級ホテルなのだとか。

金持ちはどこまでいっても金持ちです。

(2021/06/24)


マノ (2004.04.6)

「マノ、マノ、マノ」という言葉はスペインのサッカー場でよく聞かれる言葉の一つですが、これは「手、手、手」と言う意味です。要するにハンドの反則を指し、短く鋭く「マノッ!」と叫ぶか、上記のように三回繰り返すのが正式とされております。
一回で叫ぶ場合は頭にアルビトロ(審判)という名詞をつけて、「アルビトロ、マノッ」と叫ぶとよりスペイン人っぽくなれます。
はい。

足が主役のサッカーですが、時に手がその座を奪うことがあります。
最も有名な手といえばマラドーナの神の手ですが、そのほかにも、日常的に手が活躍しております。

例えば、スペインリーグで気になる手といえばプジョルの手。
ペナルティーエリア内でシュートブロックを行う場合、もしくはセンタリングブロックを行う場合、必ず手を後ろに組んでプレーする。
狡猾な選手になると、ペナルティーエリア内でわざと手をめがけてセンタリングを行い、ペナルティーを奪おうと試みることがあるので、それを警戒してのことだと思われる。
しかし、後ろ手に組んだまま相手のフェイクにも応対せねばらないのであるから、非常に難しい技術といえる。

逆にわざと手を広げてプレーする選手もいる。
例えばミランのネスタはスライディングの時、相手の切り返しに備え意図的に手を広げる。
これは、特に裏に抜けた相手を追う場面でよく見られる。
追いかけながら敵の進行方向前方に大きく足を伸ばしてスライディング、それと同時に地面に近い方の手を顔の前に突き出し、切り返されたボールにちょうど当たるように調整しておく。
これにより前方へのドリブルと後方への切り替えしを同時に防ぐ。
ずるいと言えばずるいのだが、極めて有効な技術である。
スペインではエルゲラがよくやるが、一度裏に抜けられると追いつくスピードがないためネスタよりも目撃例は少ない。

手にはその他にもいくつかの使用法があり、

1 ファールをした後、謝る風に相手の頭をさわり、髪の毛を引っ張る
2 倒れた相手に手を差し伸べ、相手が手を差し出すと、さっと引っ込める
3 味方のシュートを避けるふりをしながら手でボールを叩きコースを変える
4 後方から寄せてくるディフェンスの顔に当たるように肘を振り回す
5 角度によっては胸トラップにしか見えないが、実は腕でボールを止める

等が挙げられる。

1と2は相手を挑発する常套手段であり、つい先頃のスペイン-デンマーク戦においてもフェルナンド・トーレスが見事、手引っ込めにひっかかってしまった。

3は先週のアルバセーテvsマドリー戦でロベルト・カルロスのフリーキックをフィーゴが手でシュートし、ゴールを決めていた。

4の達人はラウールで、確信的に相手の顔を狙っている。
チャンピオンズリーグ準決勝、ベルナベウでのバイエルン・ミュンヘン戦でリンケの顔面を肘打ちし、鼻血を吹かせたあげくにアシストを決めている。

5についてはサビオラが抜群に上手い。
そのコツは腕を胸と同期させて引くことにある。
腕と胸が一緒に、つまりその相対角度を変えずに動いていれば、遠くの審判からはその二つを区別することはできない。
審判が笛を吹くのは「手を引いて」トラップをした場合である。
手を引くとは、胸のよりも腕の方が大きく動くアクションを指す。
その場合、腕を引くことでボールの勢いを殺した、もしくは、ボールが当たったから腕が大きく動いた、という論理が審判の脳裏をよぎるため、笛が鳴る。
胸と腕が一体となって動いていればそれを避けられる。
サビオラはそれが抜群に上手い。

その他にも色々と面白い「手」の使用法がありますので、よろしければ探してみてください。

(2021/06/23)


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