週休たくさんで主にスペインサッカーを分析
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ハビエル・ガルシア・ポルティージョ (2004.09.16)

数日前、c60ニュースでもお伝えしましたが、最近、父ポルティージョが「わしの息子がでていったのはアイツのせいなんじゃ」とラウールを非難する発言を行いました。

これについては、ポルティージョと父のつながりを理解しないとわかりにくいと思われますので、そのことについて書いてみようかと。

とにかくこの二人、父あるところにハビエル在り、ハビあるところに父親在り、と言われるほどに不可分な関係で結ばれていて、少年時代から週末毎の試合には勿論のこと、毎日の練習にも父親の姿がみられた。

まぁ、確かに、これはスペインでは珍しくもなんともない光景だが、この二人にはさらなる逸話がある。

ポルティージョはマドリード中心部から車で50分程の距離にあるアランフェスという町の出身である。そして彼は毎日車で練習場に通っていた。
レアルC時代ならともかく、十分な給料を貰う身分になったレアルB、トップチーム時代を通してそれは変わらなかった。
例えば午前と午後、二回のセッションがある場合、ポルティージョは午前の練習の後、わざわざ昼飯を父、家族と一緒に食べるためだけにアランフェスに帰り、そしてまた午後の練習、もしくはホテルでの集中のためにマドリードにやってくる。

いくら昼休みの長いスペインとはいえ、往復に二時間近く費やして飯を食いに帰る人間は珍しい。

このポルティージョ一家の結束の強さを抜きにして、あの父親の発言を読むと、なんかちょっとおかしい親父が妄言を吐いているように聞こえてしまうが、それは多分違う。

しかし、ここでふと逆の事実に思い当たる。

2シーズン前、出場機会の得られそうにもない状況に嫌気がさしたポルティージョは移籍を半分決意していた。その時、残留を決意させたのは、ラウール、イエーロの

「おまえは一生白いままで終わりたいのか、そうでないのか。」

という言葉だったと聞いている。

ラウールとイエーロ、二人と話し合って残留を決意したのであれば、なぜ今、ラウールが原因で出ていくのか。

上の話の情報源はレアル・マドリードを中心に取材している記者なのだが、はたして父ポルティージョの言葉が真実だとすると、どうにも腑に落ちない。

考えられる矛盾解決法としては、

1 記者が間違えている
2 父が間違えている
3 ここ最近ラウールとの仲がこじれた

以上の三つが考えられるが、はたして、どれが真実なのか。

個人的にはゲームの組み立てに参加するよりも、ゴールを決めることしか能が無く、そして、それを確実にやってのけるポルティージョはイングランド、イタリア向きだと思っていたので、今回のフィオレンティーナ移籍は彼にとってよろしいのではないかと思っているのですが。

はて。

(2021/07/31)


試合開始時刻に思う (2004.09.08)


スペインで庶民のサッカー中継が始まるのは、土曜日は9時半、日曜日は9時が一般的です。
勿論これは夜の9時で、終わるのは夜中の11時半やら11時。
これをスタジアムに見に行く場合、家を出るのは8時半、帰ってくるのは0時過ぎ、必然的にこのような結果となります。

なにやら遅いような気がしますが、どう考えても遅い。
その昔、イタリアはユベントスから移籍したジダンが、「いや、スペインに来て何がまいったって、試合開始時刻だね。なにしろ変な時間に始まるもんだから、最初のうちは試合中に眠くなって困ったもんさ」とインタビューで語っていた程遅い。

この不思議な試合時間の秘密は良く知られたシエスタ(昼寝)のお時間でして、スペインでは昼の2時~5時あたりに3時間前後の昼休みを取る。
このお陰で日本、アメリカ、その他のヨーロッパ諸国とは2時間から3時間ほど、午後の時間感覚にズレが生じ、それに合わせて試合開始時間も遅くなっている。
サッカーの場合だと、日本のゴールデンタイムと呼ばれる7時に試合開始する場合、2時間半ほどずれて9時半になる。

実は、この時間のずれ込み現象、プロサッカーだけでなくユース世代にも及んでおり、練習の時刻が異様に遅い。
まぁ生活習慣がそうなのだから当然と言えば当然なのですが。
例えば、去年見ていた14~15歳のチームは夜8時に練習が始まり9時半に終わっていたし、知り合いのチームでは練習の終了が夜の10時だった。
日本の習慣が抜けない人がこの生活を送ると、夜飯が11時近くになり非常につらい。練習前の6時に飯を食っても良いのですが、結局練習後に猛烈にお腹が空くので何かを食べざるを得ない。
スペイン人はもともと10時過ぎに飯を食うのでなんのつらさもないらしいのですが。

このペースに慣れるのはなかなか大変で、例えば週末の試合が朝の9時から始まると場合、その1時間前には集合しなければならない。となると起きるのはその1時間から1時間半前、要するに朝の6時半に起床せねばならない。
普通に考えて、通常夜の11時に飯を食う生活をしておきながら、突然早朝6時半に起きるのは極めて辛い。
はずなのだが、平日朝7時の列車は通勤客で満杯である。

この矛盾を解決する方法としては、

1 スペイン人は寝なくても生きていける
2 職場で適当に働くから寝る必要もない
3 スペインの会社員は他とは違い早寝早起きをしている

以上のどれかだと思うのですが、はたして。

以上のように、独特ともいえる生活習慣を持つスペインではあるが、最近はこれが崩れつつある。

昔、といってもまだ3年半ほど前、まだ通貨がペセタだった頃は昼の3時にマドリードの下町を歩こうものならまるでゴーストタウンを彷徨う気分にさせられた。
なにしろ食堂を除く商店は全てシャッターを閉め、道を歩く人もまばら。泥棒に会いたくなければシエスタの時間と深夜は街を歩くな、と言われたものである。
さらに付け加えるならば、日曜、祝日には商店は全滅、土曜日も大概のスーパーが午前中まで。
金曜日が祝日の場合、プエンテ(橋)と称して土曜日も休日扱いになるため3日間店がまったく開かない。
木曜日にうっかり買い物を忘れようものなら、そのままうっかり飢え死にしかねない世界だった。
個人的には、その頃の苦い記憶から金曜日が近付くと「買い物に行かないと」という焦りにも似た感情が湧きあがる。
しかし、最近は随分とお店事情も変わってきた。
昔は2時から5時半までキッチリ休んでいた近所のスーパーから中休みがなくなったし、近くに朝の8時から夜の2時まで開いている店もできたし、おまけに休日皆無で働く中国人雑貨店も増えた。

このところ、地価の上昇と経済成長の目ざましいスペインではありますが、経済とは効率の別名なのでこのような変化も当然と言えば当然ではあります。

これからは、ああここはスペインだなぁ、と感じさせる人の数々、どんなに行列が長くても昼の12時になるとお茶を飲みに消える警察の受け付け、たかだか切符一枚を買うために粘りに粘り、20分も窓口を占領するおばはん、自分の不注意で落としたくせに「いや、コップが手から逃げていったんだ」と言い張り責任を認めさせるのに1時間かかるおやじ、こういった人々が生きていきにくい社会になり、彼らは時と共に駆逐されていくのでしょう。

ここ最近のたった3年でも人の質の変化、例えば、地下鉄で突然知らない人と大声で会話を交わす場面が少なくなり、ただひたすらに本を読む人が増えた、といった現象が見られるわけですから、失われていくものを今のうちに目に焼き付けておかねばならないのかもしれません。

もし、サッカーの放映開始時刻が19時に統一される日が来るとしたら、それはスペインという言葉で連想される大部分の物事の死を意味しているような気がします。

(2021/07/25)



蹴球ゴシップC60 (2004.07.26)

今回は、ゴシップ関係の話題を。
ソースが怪しいお話ですので、真偽の判断は自己責任でお願いします。

マドリー (マドリード)に住んでいると色々な日本の方と知り合いになります。
その中でも日本食料理屋の板前さん達とよく出会います。まずはその人達に聞いたネタから。

とある高級料理店に訪れたベッカム夫妻ことベッカムとビクトリア。ビクトリアはその店の枝豆がいたくお気に召されたらしく、繰り返し注文をした挙げ句、調理場にあった全ての冷凍枝豆をお持ち帰りされたとのこと。「あんなん中国人の食材屋に行けばなんぼでも安う売っとるで。」とは板前さんの言。
ちなみにベッカムは体調維持のためか、油モノを一切口にしなかったらしい。

とある日本料理店の寿司を気に入ったフィーゴ。その後ふらりと現れてはテイクアウトで注文し、自ら家に持って帰るとのこと。彼の日本食好きとバルセロナに和食の店を持っていた事実は良く知られている。レアル・マドリー移籍の際、焼き討ちにあったその店の名前は確か「金」。

レアル・マドリーの選手、首脳陣へのインタビューを仕事としている人の話によると、グティは取材に対する態度も悪いとのこと。シンパティコ(気のいい人)はロベルト・カルロス。

これは噂ではなく公然の秘密だったが、去年のレアル・マドリーではフロレンティーノ・ペレス、ホルヘ・バルダーノが決定権を握り、役職名は偉そうだったエミリオ・ブトラゲーニョは全くの飾りだったとのこと。彼の役割はマスコミ対策。

その昔新聞を賑わせたバルセロナのセニョリータ事件は真実だったとのこと。何年前か忘れたが、ラージョ・バジェカーノとの試合前夜、バルセロナの選手数人が宿泊先のホテルに女性を呼び「パーティー」を繰り広げたと新聞に掲載され、それをバルセロナ側が名誉毀損で訴えると言い出してもめた、というのが事件の骨子。
情報はバルセロナ役員を友達に持つアトレティコのコーチから。

アトレティコ時代のグレゴリオ・マンサノがマジョルカから連れてきたイバガサ。マジョルカ時代、日本のテレビからインタビューを受けた。それがよほど嬉しかったのか、取材テープのコピーを欲しがり、何度も念を押したとのこと。

セビージャ(セビリア)会長、デル・ニド。今シーズンの移籍市場も多くの選手を獲得し、その辣腕ぶりとあくどそうな顔で有名だが、ペーニャ(ファンクラブ)の会合に出席すると老人たちの為、カラになったピッチャーを下げ、自ら新しいビールを持ってくる甲斐甲斐しさ。
セビージャで偉くなるコツは身内には丁寧に、外には厳しく、らしい。

とまあ今回はこの辺で。

(2021/07/24)


差のつかないスペイン語 (2004/05/05)

「そ」か「ん」で終わるサッカー用語

今回は「そ」か「ん」で終わるスペインのサッカー用語についてお届けしてみましょう。ピッチで使用される「そ」か「ん」は大体増大辞か縮小辞を使った結果であることが多い。
増大辞とはある単語の語尾につけ「大きな」といった意味を添えるものです。例えばお金を示す「パスタ(pasta)」という言葉に「オン(-on)」という増大辞をつけると「パストン(paston)」という単語になる。「パスタがある」と言えば「お金がある」という意味だけど、「パストンがある」と言えば「ちょー金がある」という話になる。よーするに景気のいい感じになるわけです。その逆が縮小辞。

どうでもいいと言えばどうでもいい文法は抜きにして、以下サッカー用語。

・パラドン
パラダが大きくなってパラドン。すんげーセーブ(スーパーセーブ)の意味。「いやー昨日のモリーナはパラドンを炸裂させてたんやけどなぁ、負けてもうなたなぁ」、「イケルはほんまにパラドン連発やで」などのようにつかう。ドンってなんやねんドンって、と突っ込みたくなるが使い慣れるとやめられない。

・ゴラッソ
日本でもわりかし有名。ゴルが大きくなってゴラッソ。すんげーゴール。場内がどよめく必要がある。「いやぁ、あのシャビとロナウジーニョのやつはほんまのゴラッソやで」「あのシュート見てないん?ゴラッソやってんで」といった使用法が一般的。サッカー場においては頭に「ケ」をつけて「ケ・ゴラッソ、ケ・ゴラッソ」と繰り返せば感嘆したことがよく伝わる。

・チュタッソ
チュトが大きくなってチュタッソ。すんげーシュート。枠を外しても良い。ルケ、カプデビラレベルのスピードがあるとベスト。「この前チュタッソがあそこに直撃してからどうも調子がおかしいんよね」のように使う。

・パルティダッソ
試合を意味するパルティードより。用法は二つあり、一つは大きな試合を指し、もう一つは大活躍した試合を指す。前者は「パルティダッソいうたらマドリーvsバルサやろ」、「アーセナルvsミラン?そりゃぁパルティダッソやなぁ」のように使い、後者は「クラシコはシャビのパルティダッソやったなぁ」、「イエーロのパルティダッソと言えばユベントスとの決勝やろなぁ」のようになる。3点決めれば他のプレーはどうあれ、取り敢えずのパルティダッソにはなる。

・パタドン
パタダ(蹴り)の激しいバージョン。格闘家のごとき蹴りを指す。相手を非難するには、「奴はパタドンをかましやがった」と言わなければならない。ここでパタダを使ってしまうと大したことのない反則に思われてしまう。

・フガドン
フガダ(jugada)、プレーのスーパー版。スーパープレー。「ジダンのブルターンからシュートしたやつ、あれはフガドンやな」のように物凄いプレーながらゴールに結びつかなかった場合に用いると吉。別にゴールシーンに絡まなくともフガドンにはなる。マラドーナのイングランド戦のドリブルはフガドンでありゴラッソである。

スペインリーグを見ながら以上の言葉を自在に操れるようになれば違いのわかるリーガマニアになれる、、、かどうか定かではない、のですが、副音声がある場合に思い出して頂けるとよろしいのではなかろうかと。

(2021/07/14)


アイドルに見るクラブ体質 (2004.04.28)

スペインリーグでは、大体どのクラブにも「アイドル」と呼ばれる存在がいます。
別に男前で笑顔が素敵である必要はなく、インチャ(ファン)に絶大な支持を受ければ誰でもイドロ(アイドル)になれる。
それならば、イドロのタイプを見ればそのクラブの体質、というか特質が見えるのではなかろうか、
といのが今回の疑問であります。

今回比較するのはマドリーの両雄、レアル・マドリーとアトレチコ・デ・マドリー。

まずエル・レアルのアイドルと言えばラウールことラウール・ゴンサレス・ブランコ。
アトレチコの下部組織がおとり潰しになったのを機にマドリーに移籍。ホルヘ・バルダーノのもとで1994年10月、17歳でトップチームデビュー。その後の活躍はご存知の通り。生え抜き中の生え抜きではないが、下部組織から育ち世界のトップレベルに達した。
その言動は無用な問題を産まぬよう極めて計算されている。例えば先立ってのクラシコでのフィーゴの退場に関しても「審判がそう判定したんだからしょうがない、それを覆すことはできないんだから、ノ?」と極めて優等生的発言をしていた。
ちなみに、「ノ?」とはラウールの口癖で、語尾につけると日本語の「でしょ?」といった意味になるが、彼の口癖であり、モノ真似に必須な言葉である。
ジダン、フィーゴ、ベッカム、ロベカル、カシージャス、ユニフォーム販売で上位を占める人々だが、勝負に強くこだわりながらも、見た目は綺麗なプレーする。

一方のアトレチコ。

アトレチコのアイドルはフェルナンド・トーレスだと思われがちだが、それは違う。
彼は女、子供のアイドルであり、アトレチの大半を占めるおやじどもの評価を得ているとは言いがたい。
ならば彼らのナンバーワン・アイドルは誰か、その名もディエゴ・パブロ・シメオネである。嘘だと思われるのなら一度カルデロンに足を運ばれるとよい。先発ならば選手紹介で熱烈な拍手が送られるし、不利な状況で途中出場しようものならもの凄い喝采がわきおこる。その後、敵にえげつないタックルでも喰らわせようものなら場内熱狂、興奮の坩堝。
ほんまでっせ。

そしてその次に支持を受けているのがデニス・ニコライディス。守備では必死でボールの後を追い回し、間に合わないボールにも体ごと突っ込む、決して休むことない芸風がアトレチに大受け。
最近、決定率、テクニックで勝るパウノビッチが先発に定着しつつあるが、デニスを待ち侘びる声は大きい。
ちなみに、スペイン到着当初は「あんなじじいに何ができる」「ギリシャ人???」「ありゃスポンサー絡みで来ただけやで」等、罵詈雑言の嵐だった。それを吹き飛ばし得たのはプレースタイルがアトレチの心を掴むものであった点が大きい。
ビセンテ・カルデロンのハートを掴むには、トラバッハドール(働き者)でペレオン(相手に絡んでいくタイプ)でバタジャドール(戦争屋)であることが必須である。

フィーゴのドリブルに熱狂しジダン、ラウールのテクニックに喝采を送るマドリディスタとセンターバックに絡みつくニコライディスに興奮しシメオネの後方からのタックルにテンションがぶっ飛ぶアトレチ、根本的に人種が違う。
この二つがエテルノ・リバル(永遠の仇)と呼ばれるのも当然かと。
才能を上に置く人間と努力を上に置く人間、わかり合うのは難しい。

その一方で、サッカーはどちらに偏ってもつまらないものになる。
異なるものを互いが補うように重ね合わせ、その結果として高い場所に手が届く、これがサッカーの楽しみの一つだと思われます。
それは今のバルセロナを見ればよくわかるのではなかろうかと。

レアル・マドリーもアトレチコ・デ・マドリーも、来シーズンの補強に期待しましょう。

(2021/07/10)


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