週休たくさんで主にスペインサッカーを分析
前回は、ドリブルにおける同サイドでの方向変化について見た。
ここでも同様の例を見る。 仕掛け部分での保持者の動きは以下のようである。 この動きから予想されるボールの進路は下のようである。 これに対する守備の反応は以下のようである。 一度後ろに下がっている。 これは、自分の背中側を狙われると予測したためである。 しかし、実際のボールはより縦方向に動く。 一度下がった守備者は、その変化に対応しようとする。 この過程で、守備者の上体が煽られるように後方へと動く。 これは、後ろに加速した勢いを殺し、動きの方向を変えようとしたためである。 最初点線方向へ加速しようとしたが、ボールの動きを見て実線方向へ動きを変えている。 この後、クロスを防ごうとするが間に合わない。 間に合わない理由は、最初の段階で実際にボールが動く方向と異なる方向に加速したためである。 この点で、前回のプレーと同じである。 この2つは、同サイドにおける方向変化により守備を崩している点で共通している。 両者ともに、同サイドでの変化を主要素とするドリブルである。 次も同様の例を見る。 抜く前の保持者の動きは次のようである。 これから予想されるボール進路は次のようである。 これに対して、守備者は足を出す。 しかし、ボールは予想進路よりも画面右側へずれる。 このため、足が届かずに抜かれる。 ここでも同サイドでの変化が見られる。 これまでに見た3つの例では、いずれも同サイドでの変化により相手を崩している。 以上に見たように、同じサイドでの方向の変化が、相手を抜く上で主要な役割を果たすことがある。 これを踏まえた上で、以前に見た正対から抜けるものと抜けないものの差を見る。
前回は、正対から仕掛けて抜けるものと抜けないものを見た。
以降しばらく、イン側へのドリブルについてのみ見る。 イン側とは、ボールに触る足の内側方向の意味である。 次のプレーは、正対から仕掛け、シュートにつなげるものである。 ボール動く向きと守備の反応に注目する。 仕掛け部分のボールの動きは次のようである。 ボールの軌道を矢印で示せば以下のようである。 同じ部分の守備の動きは次のようである。 右後方へ移動するための動作を起こしている。 同時に見ると次のようである。 ボールの移動方向と、守備者の起こした動きの方向にずれがある。 守備者がこのまま動き続ければ、保持者との距離が開くことになる。 このため、動きの方向を変える。 右後方に加速しようとしていた動きを、横方向へ変えている。 この方向転換により、姿勢に乱れが生じる。 乱れは、この後、顕著にあらわれる。 上体が前方に突っ込んでいる。 これは、加速しにくい体勢であり、相手を追うのに適していない。 この乱れの原因は、移動方向の変化であり、それが無理に行われたためである。 この後も保持者を追いかけるが、間に合わずシュートを打たれる。 間に合わなかった理由は、最初にボールと異なる方向に加速したことにある。 守備は、初期段階で反応を間違えている。 なぜこの間違いが引き起こされたのか、次に見る。 以下の図では、保持者の動きに注目する。 仕掛けの部分は以下のようである。 上の流れでは、ボールは次の方向に動くように見える。 実際には次のように動く。 矢印で示せば次のようである。 保持者の動きから予想される進路と、実際の進路が異なる。 守備者は、予想される進路に対して反応している。 これは、先に見た守備者の動きを説明する。 最初、保持者の動作から予想される点線方向に加速する。 その後、実際のボールの動きを見て実線の向きに方向を転ずる。 この方向転換に無理があるためバランスを崩す。 ここで、注目すべきは、守備者から見て右側、同じサイドでの変化によりバランスを崩していることである。 点線を見せて、実線方向に転ずる。 守備者から見て同じサイドで方向が変化している。 ドリブルでのフェイントをイメージする場合、サイドを変えるものを思い浮かべるのが一般的だと考えられる。 例えば、右を見せて左、左を見せて右といったものである。 しかし、ここではそのようなフェイントは見られない。 次の流れを注視しても、画面左、逆側へのフェイントは見られない。 つまり、このプレーはサイドを変えることにより相手を抜くドリブルではない。 一方で、同じサイドにおける方向の変化が存在する。 そして、この変化こそが守備の反応を狂わせている。 上のプレーは、同じサイドにおける方向の変化を主要素として相手を抜くドリブルということができる。 次も同様のプレーを見る。
ここでは、ドリブルで仕掛けて相手を抜くことを見る。
例えば次のようなプレーである。 最終的に、相手に邪魔されることなくクロスを蹴っている。 相手を抜くことに成功しているといえる。 以前、ドリブルは正対から行うのが基本であることを見た。 このプレーは正対から始まっている。 しかし、これは経験的にも明らかだが、正対からドリブルを始めたからといって必ずしも成功するわけではない。 相手を抜くことに失敗している。 このプレーも正対から始まっている。 しかし、ドリブルは完全に失敗する。 この成功と失敗の差はどこから来るのか、なにが本質的な要因となって結果が異なるのか。 その違いを把握することは、ドリブルを理解する上で意味があると考えられる。 次に、いくつかのドリブルについて見る。
以前、次のようなドリブルを見た。
ここで用いられているフェイントは、左への踏み込みである。 左に相手を振ることで崩し、右に抜けようとしている。 これと同様のプレーも見た。 浮いて、左に踏み込んで右に抜けている。 この二つの動作では、浮くという動作の有る無しが異なる。 また、この動作の有無は、フェイントというものに対する認識の差でもある。 前者は、一つの動きを見せ、他方に切り返すことで崩そうとしている。 後者は、動きを見せるのではなく、まずなにもない状態、動きの見えない状態を作り出している。 この、動きの見えない状態、すなわちニュートラルな体勢で浮くこと自体が相手を崩す第一歩となっている。 一般的に、フェイントというものは、前者のように動きと動きをつなぐものだと思われている。 左に相手を振って、急激に右へ切り返す、といったものである。 しかし、これまでに見た、浮く動作を基本とするドリブルは異なる。 まず、ニュートラルな体勢で浮くことにより、動きのない状態を作り出す。 そして、その動きのない状態こそが、相手を受身に回す第一のフェイントとなっている。 上の二つのドリブルは、動作が異なるのみならず、動きで相手を崩すのか、動きのない状態で相手を崩すのかという点でフェイントに対する認識そのものが異なっている。 以前、正対という視点から、トリック主義は役に立たぬどころか、有害であることを見た。 そこで、下のトリックを取り扱った。 クライフターンである。 このトリックは、浮くという動きを習得する上でも問題が多い。 トリックというものは、動きと動きをつなぐ、右に振って左という考え方から作られているものが多く、これも例外ではない。 これを身につけることは、フェイントとは動きと動きを繋げるものだという考え方を身につけることに等しい。 これは、ドリブルにおいて浮くという意識から遠ざかることにつながり、浮く動作を基本として習得することを妨げる。 同じことは、いわゆる、またぎ、シザース、ビシクレタと呼ばれるものにも言える。 これは、有用な技だと思われているが、特に連続的にまたぐ場合、フェイントとは動きと動きを繋げるものだという考え方を強く身につけてしまう。 結果として、浮くという意識から遠ざかり、浮く動作を基本として習得することを妨げる。 前にも見たように、浮くことを基本として持たない選手は、それを持つ選手とくらべて技術的に劣る。 正対という点からみても、浮くことを基本として持たない選手は、それを持つ選手とくらべて技術的に劣っている。 ドリブルは、正対との整合性が良く、動きの上でもメリットの多い、ニュートラルな状態で浮くことを最初に基本として習得すべきである。 同時に、それから遠ざかるトリックを教えることは、慎重に行われなければならない。 トリックは、それでしか打開できない状況を打開するのに有効である。 しかし、それを数多くおぼえることと、サッカーの本質的な上手さとは無関係である。 無関係であるどころか、本質的な上達を妨げる側面さえ持つ。 この点は、常に留意される必要がある。 特に若年層の指導においてそうである。 ドリブルの基本に関しては、現在のところ以上である。 次に、ドリブルから派生して、浮くことから技術ミニマムを考え直す。
以前、正対について見た。
正対の特徴は、体の正面を相手に向け、プレーの可能性を左右両側に確保する点にあった。 この特徴を利用するためには、左右両側へのプレーを見合いにする必要があった。 これまでに、浮いた姿勢は様々な動作を見合いにしていることを見た。 その中に、両側に抜けることも含まれていた。 浮いた状態から、インサイド側、アウトサイド側、どちらにも抜けることができる。 このことは、浮く動作は、正対と極めて相性が良いことを示している。 正対の特徴を利用するためには、なるべく遅い段階まで左右への選択肢を保つ必要がある。 それは、浮くことにより達成される。 サッカーにおいて、上手下手を根本的にわける原理は正対であった。 正対の観点から見てニュートラルに近い状態で浮くことは理にかなっている。 以前、技術が思考を規定することを見た。 もし、正対に不適な技術を持っていれば、プレーが正対に向かわない。 逆に、正対に適した技術を持っていれば、プレーが正対に向かいやすい。 これまでに見たプレーにおいて、正対から浮くものが存在した。 一部を抜き出すと次のようである。 浮くことは、理論的に正対との整合性が良く、実際のプレーにおいても正対から用いられていることがわかる。 浮くことは正対に適した技術であり、本質的な意味で重要である。 次に、動作の違いによるフェイントに対する認識の違いを見る。 |
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