週休たくさんで主にスペインサッカーを分析
ブラジル対韓国で、次のようなゴールがあった。
シュートの際、守備との距離がある。 これは、守備が右から左に振られたことが原因であるが、もう一つ理由がある。 ファーストタッチにおけるボールの回転である。 連続的に見ると、斜め後ろに回転がかかっているのがわかる。 このため、地面についたボールは手前にかえってくる。 これが、下のように大きく距離を取れたもう一つの理由である。 トラップで前に転がすより、逆回転をかけて体の近くに戻した方がより多くの余裕をえられる。 余裕があれば、シュートはより決まりやすい。 しかし、これを行うには、小さな踏み込みでボールをける技術、もしくは体の近くでボールを蹴る技術が必要になる。 踏み込みを別角度で見ると次のようである。 これに対し、大きな踏み込みとは例えば次のようなものである。 支持脚が着地した時の姿勢の差は明らかである。 大きな踏み込みでしか蹴れない選手は、狭いスペースでプレーすることができない。 現代のサッカーは、フィールドの全面でボールまわりのスペースを狭める方向で進んでいる。 これにより、狭いスペースでプレーできない選手の居場所がどんどんなくなっている。 昔は、サイドバック、センターバックは比較的余裕があった。 このため、大きく振り回す蹴り方をする選手が多くいた。 しかし、ハイプレスが進化した昨今では、バックにそのような選手がいるとむしろチームの邪魔になる。 この傾向は、今後もさらに加速するだろう。 技術的に見て、大きく振り回す蹴り方、前に「弓型」として見たものは淘汰されるであろう。 パター型のインサイドなどは以ての外である。 上の例では、太ももから下を大きくひねるインサイドで蹴っている。 しかし、この場面では、縦に踏み込み、上から下にボールをとらえてインステップで蹴ることもできる。 そのような技術があれば、より狭いスペースでより効果的なプレーができる。 今後、小さな踏み込みで強く蹴る技術、体の近くで蹴る技術はますます不可欠であり、子供時代からその追求が求められる。
クロアチアは前半、ロングボールを多用していた。
クロアチアが、前半に長いフィードで狙った場所は次のようであった。 上が日本のゴールである。 左右の守備の裏を狙うボールが多い。 この意図は、主に二つある。 一つは、ハイプレスをかわすことである。 日本は、高い位置でのプレスが強い。 これをまともにくらうとスペインでも沈没する。 プレスがかかる前に長いボールを蹴れば、被害は避けられる。 もう一つは、カンターを避けるためである。 ハイプレスをかけないとき、日本は引いて守る。 そこからのカウンターは速い。 ロングボールを出して、その結果を見て押し上げればカウンターをくらう可能性は低い。 クロアチアがこのような戦術を選んだのは、日本が守備を攻撃としているチームだからである。 ハイプレスもカウンターもまず守備があり、そこから鋭い攻撃がある。 このため、日本の攻撃を抑えるには望む守備をさせなければよい。 それがロングボールを多用した理由である。 その中で、日本が先制しクロアチアが追いつく。 後半になって、日本が戦術を変更する。 後方からのロングフィードをより多く行うようになった。 この大きな理由は、クロアチアのハイプレスを避けるためである。 日本が、後方から丁寧につなぐとクロアチアはプレスをかけてくる。 これに比べて、クロアチアはプレスが来る前にロングボールを出す。 そうなると、日本が一方的にハイプレスをくらう形になり不利である。 このため、ある程度ロングボールを混ぜざるをえない。 しかし、日本の前線はサイズに乏しく、これを受けるのに向いていない。 そのため、74分に酒井が右に入る。 これは、酒井が落としてそれを拾うためである。 ヘディングに強い選手を入れて競らせ、そのセカンドボールをつなぐ。 しかし、この戦術を用いると落とした後での競り合いが多くなる。 直接競るよりはましとはいえ、やはり前線のサイズがない日本には不利である。 このような展開になると、競り合いに強いフォワードが欲しくなる。 例えば大迫である。 この展開には抜群に向く選手である。 「なんで大迫がいないんだ!彼なら打開できるのに!!選手選考がおかしい!!!」 と思うのは、おそらく贅沢である。 今回の日本は、ドイツとスペインに勝てるようにつくられている。 自陣ゴール近くからつなぐ相手に、ハイプレスを極限まで高める。 そして、高い位置で奪って一気に攻める。 これを実現するために選手に必要なのは、プレスへの理解力、規律、モービリティ、持久力である。 このため、テクニック、サイズといった要素は後回しになる。 大迫をいれるとプレスに穴が開きやすくなる、といった判断がなされた場合、どうしても選ばれにくくなる。 ロングボールのオプションとして大迫を控えに置けばいい、というのは確かにある。 しかし、彼を控えにおけるのか、という問題がある。 加えて、前線に怪我人がでてもプレスを継続するためには、控えにも同様の選手を置きたい。 それを考えると大迫の枠を確保しにくい、という事情もある。 プラスとマイナスを考えたとき、プレスを優先して大迫を外し、ロングボールの一つのオプションとして酒井を置いて対応する、という結論になったのだろう。 取るものがあれば、捨てるものもある。 その結果として、今回の日本は、強いチームに強く、弱いチームに弱い。 ハイプレスを避けてロングボールを多用する、というのは弱いチームに多い戦術である。 例えば、コスタリカは後方で無理につながず長く蹴る。 そうなると、日本は一番のストロングポイントを使えないため、手を焼く。 手を焼くどころか、負ける。 これに対して、スペインは日本がプレスを得意としているのを承知で堂々とつないでくる。 その結果、日本が勝つ。 その勝ちは偶然ではなく、十分に用意された勝ちである。 最後の相手となったクロアチアは、決して弱いチームではない。 弱くないチームが、いわば謙虚なプランを用意し、日本のよさを消すことに重点を置いていた。 その結果、戦術面では常にアドバンテージを持って戦っていた。 一方の日本は、良さを消されて苦労した。 戦術的には劣勢だったが、先制点は日本だったし、120分戦って引き分けだった。 コスタリカに負け、クロアチアに引き分け、ドイツに勝ち、スペインに勝ち。 不思議な結果であり解釈に苦労するが、チーム設計から見れば、ある程度納得できるのではないだろうか。 しつこさは宝? (2004.10.27) 今日はサッカーが上手くなるために必要な性格などを考えてようかと。 まず、サッカー選手というものは、同じ行動を繰り返すしつこさを持ち合わせなければならない、と考えられる。 例えば、得点につながるはずのスルーパスを試み、相手にカットされてカウンターから一点を失ったとする。 ここで、「ああ、俺のパスミスのせいで、、、」と考え、次から一瞬パスをためらうようになっては、いつまでたっても技術の向上は望めない。 たとえその失点で敗れたとしても、「いや、狙いは良かった狙いは、次はキッチリ通そう。」と思うか、「ちっ、なにやってんだよ、おめーらがちゃんと守らねぇからまけっちまったじゃねぇか」と思って同じ行動を取り続ければパス能力を改善していくことができる。 よってサッカー技術上達のためには同じ行動を繰り返すしつこさ、めげない精神が大切になる。 そしてこのような性格は、以下のような場面によくあらわれる。 例えばフリーキックに対して壁をつくる時。 当然、審判が後ろを向いた瞬間、足を細かく動かし、すりすりとボールに近寄っていくのだが、時としてそれがばれてしまうことがある。その時はまた後ろに下げられてしまうのだが、次に審判が目を離した隙にもう一度こそこそと前に出る。 例えばイエローカードをもらった後。 「一枚イエローを出した五秒後にもう一枚出して退場させはしないだろう」と考え、もう一度激しいファールで相手を削る。 例えば互いにユニフォームを引っ張り合いケンカになった後。 引っ張った引っ張ってないで殴り合い寸前の揉め事が起こった直後のコーナーキックで、同じ相手のユニフォームを掴む。そして敵がきれて肘撃ちでもしようものなら、大げさに倒れこみレッドカードを誘い込む。 要するに、人が「して欲しくない」と思う行動をやり続けるめげない心、という形であらわれる。 その昔、とにかくスローインが下手で、いつもファールスローを取られるパブロという子どもが居た。 11歳だったのだが、そのレベルの試合では、あまりにもファールスローが多いと審判は正しいやり方を教え、やり直しをさせてくれることがある。 ある日、いつものようにスローインを失敗し、パブロは周囲からもの凄い罵声を浴びた。審判がやり直しを命じたのだが、彼は再び同じ方法でスローインを行い、今度は笛がならなかった。 そして、その時、「なんだよ、前と同じなのに今度は吹かねぇのかよ」と呟いた。 そんな彼は、群を抜いてドリブルが上手かった。 たった一人の例ではなんの証明にもならんのですが、上のような現象はサッカー界でよくある風景ではなかろうかと。 一般常識からすると、はっきり言って嫌な奴でしかないが、そういった、はぐれた子ほどサッカーが上手かったりもする。 上のパブロの場合は、本人は前と全く同じようにスローしたつもりでも、やっぱり審判の言葉が気になったのか、ボールをいつもよりほんのちょっと後ろに引いていた。 そのお陰で審判が見逃してくれただけだとは思うのだが、それにも気付かず、取り敢えず我が道を行くその姿はやはりサッカー向きかと。 ここで、我が身をひるがえってみるに、昔から同じことを繰り返されるのが大っ嫌いだった。 例えば、ある曲の歌詞について、「この”アセレヘ”ってどない意味なん?」と聞かれ、「知らん」と答えた10分後に、「アセレヘってどういう意味なんやろ?」と再び聞かれ、またもや「だから知らんって」と答え、さらに20分後に同じ質問を繰り返されると、真剣に頭に来て、「だからさっきから知らん言うとんじゃボケッ!」と本気で怒鳴っていたものである。 しかしながら、上の話を思い合わせ、「人が同じことを聞かれ、イライラした態度を見せているにも関わらず、何度もそれを繰り返す。ということは、相手が何かを嫌がるかどうかよりも、自分の聞きたいことの方が大切なのに違いない。つまり、こいつは、サッカーをやらせたら案外上手くなるかもしれない。」 と、風が吹けば桶屋が儲かる式に考えるようになってからは、それほどイライラしなくなった。 もし、周囲でそんな子供を見かけたら、サッカーを勧めてあげて下さい。 存外、日本を救うことになるかもしれません。 芸風は100%つっこみ ~きれるイケル君~ (2004.10.20) その昔のレアル・マドリーの芸風は一人ボケ、一人ツッコミだった。 例えば、ラージョ・バジェカーノ(マドリーのチーム、弱い)との対戦で、二点リードされ、一点差に迫ったと思ったら一人退場者を出し、その後いきなりやる気を出して2-3と勝利したのが好例である。 一人でボケておいて、事態が悪化するや必死にそれをカバーする。 これが一つの味になっていた。 時代は流れて、去年からのマドリーはマジボケと呼ばれる芸風に姿を変えた。 なにしろボケがマジなものだから、後でツッコミでフォローしようとしても間に合わない。 関西方面では、マジボケは恥ずかしいものであるとの認識があるが、それが昨シーズン後半に引き起こされた崩壊劇の真相だった。 今年のプレシーズンからのマドリーの動きを見ると、サムエル、ウッドゲイトの獲得、ボランチで先発するセラデス等に見られるように、前線のボケをなんとか後ろでカバーする方針でチームを運営してきた。 しかし、昨日のディナモ・キエフ戦では、試合開始から、中盤の底にジダン、グティをボランチに並べた。 攻め(ボールを持っている時)をツッコミと考えると、この二人のツッコミ指数はほぼ100%である。 しかしながら守備(ボールを持っていない時)のこの二人はボケボケもいいところで、世に言うWボケに他ならない。 それが計算されたボケならば問題ないのだが、二人とも本気なのが困りもの。 昨日の試合ではディナモのディフェンスラインからパスが一本サイドに出るとドフリー。 簡単に前に進んで中にパス、ドフリー。 ボランチが守備に来ないもんだから簡単にシュートにつなげて、イケルがパラドン。 トップレベルの試合では在り得ないはずのシーンが何度も繰り返された。 要するに、キエフ戦のマドリーは、100%ツッコミのマジボケ。 ボールを持てば、ほぼ完璧につなぎ、相手をてんてこ舞いに躍らせることができる。 しかし、それを失った瞬間、小学生並みの守備組織しか持たない。 スーパーセーブを連発し、チームを救い、ヒーローであったはずのキーパー、イケル・カシージャスが試合後、不満を前面に表し文句を呟きながらピッチを後にしたのは印象的な姿だった。 あるテレビ局は、「彼は奇跡を起こすことに疲れている(エスタ・カンサード・デ・アセール・ミラグロス)」と言っていたが、確かにそうなのかもしれない。 しかしながら、ファンとして試合を見るならば、この日のマドリーの方が面白いような気もする。 とにかくボールを持ったら最強で、それをなくしたらゴメンなさい。 で、後は、シュートミスを祈るのみ。 そのすっきりとした男前な姿の方が、攻めるか守るかはっきりとしない、どっちつかずのマドリーよりもマドリーらしいと思われる。 苦労を一身に背負うであろう、カシージャスには申し訳ないのですが。 (2021/08/19) インタビューにて思う (2004.10.13) スペインではサッカーがナンバーワンスポーツであり、テレビで選手のインタビューが流れる時間は長い。そしてそのインタビューは大概スペイン語でなされる。当たり前ですが。 スペインではインタビューに字幕をつけない。例えば、日本では、ほんのちょっと発音が不明瞭だっただけで、ご丁寧に字幕がつくが、ここでは一切そのような努力は行なわれない。 例えばプジョルがカタラン(カタルーニャ語)でインタビューを受ける時にはちゃんとテロップが流れるが、本人がカステジャーノ(いわゆるスペイン語)を喋っている、とみなされた場合には必ず文字無しで放送される。 一瞬聞くと当然のような気がするのですが、スペインリーグにいる選手はなにもスペイン語を母国とする選手ばかりではない。 インタビューが聞き取りにくい選手は数多くおるのですが、その中でもポルトガル語圏、とくにブラジル人のスペイン語は抜群にわかりにくい。 ポルトガル語とスペイン語は似ているらしく、マドリードからリスボンに一年間出張していた人が、最後までまともなポルトガル語を覚えずに押し通して帰ってくることができる位のものである。 この似ている、ということが曲者で、スペインに来たポルトガル語の人間も、何となく言葉が通じてしまう為に、何年たってもポルトガル風カステジャーノを喋りつづける。 例えば、ホームを意味する「カサ」はどう聞いても「カザ」だし、プレーするを意味する「フガール」は「ジュガール」にしか聞こえない。 この微妙な単語の違いに、ブラジル風ポルトガル語のやや不明瞭な発音が加算されると何がなんだかさっぱりわからなくなる。 個人的にいくらインタビューを聞いてもサッパリわからなかったのはジャウミーニャ。 デポルティーボで監督のイルレタに頭突きを食らわせた元清水エスパルスの選手であるが、そのフニャフニャとした音と非常に多い摩擦音のお陰でカステジャーノがさっぱりカステジャーノに聞こえない。 彼の言っている事は半分ぐらいしかわからなかったのだが、その言葉の80%近くがわからなかった謎発音の第一人者はドナト。 ドナトと聞いてすぐに顔が思い浮かぶ方は結構なリーガマニアだと思うのですが、年を経て渋みを増した正方形のモアイのような顔をした元デポルティーボの選手で、その四角い体と見た目からマウロシウバと区別がつかない、と言われたものであります。 この人はブラジルで生まれながら「神のお導き」で1990年にスペイン国籍を取得、スペイン代表としてもプレーしている。 つまり彼はスペイン人なのだが、その喋るスペイン語は極めてブラジル風であり、非常に聞き取り難い。 これは自分の言語能力が不足している為だと思っておったのですが、ある日、スペイン在住十数年、公立語学学校のニベル5(最上級クラス)を卒業し、バスク語も勉強している語学堪能な人にこの悩みを相談したら、 「あら、そんなの私だってわからないわよ」 と軽く一蹴されてしまった。 サッカー仲間のスペイン人に聞いても皆、「マス・オ・メノス(大体)わかる」としか答えなかった。 となると、果たして公共電波にのったドナトのインタビューは一体どれほどの価値があったのか、悩みは尽きない。 さらに上の人物から、ドナト以上に意味不明なスペイン語を喋る人物がいると聞いた。 それはジオバンニで、バルセロナにいた長身のトップ下、マドリードとのデルビでゴールを決めたのをハイライトに、尻すぼみに活躍がなくなりオリンピアコスに移籍した選手を指す。 そんな彼も当然?ブラジル人であり、彼のインタビューにはさすがのスペインのテレビ局も字幕をつけたのつけなかったの、という伝説が残る程の人物である。 とは言え、ブラジル人全てが謎の発音をするわけではない。個人的に最もわかりやすいスペイン語を喋っていたのはデニウソンで、流石にスペイン人女優と浮名を流しただけのことはある、と一人合点したことがある。 考えてみるとマドリードにいるロナウド、ロベルト・カルロスの言葉は相対的に聞き取りやすい。 ジャウミーニャ、ドナトはポルトガル語の基礎になったといわれるガジェゴ(ガリシア語)を喋るラ・コルーニャの選手だし、ジオバンニはカタランのバルセロナにいた。 バルセロナに居たオランダ人達が軒並み不可思議なカステジャーノを喋っていたことを考えあわせても、環境の影響だと考えられなくもない。 セルタ・デ・ビゴ(ガリシア地方のチーム)に居たエドゥ(ブラジル人)は結構わかりやすいのですが。 (2021/08/18) |
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